つぎに来たる季節を想う。
寒さの極限に至る頃でも、七十二候では大寒の初侯を
「款冬華(ふきのはなさく)」といい、蕗の薹(ふきのとう)が顔を出す時季です。
雪の下でそっと春の準備を進めていた健気な緑。
覗かせた顔がどこか嬉しそうに見えます。
とても愛らしい姿で、そのほろ苦さと香りは春の美味。
冬眠から目覚めた熊が最初に食べるそうですが、
私たちも春の味わいを心待ちにしています。
Ki-No-Otonai
vol.24
Daikan
2026.1.20 ― 2.3
冬もいよいよ大詰め。
二十四節気の最後となるのが「大寒」です。
その字のごとく、一年で最も寒い時季となります。
沢の水が凍りつく厳しい冷え込みが続きますが、
それでもまわりを見渡せば
生命の輝きがちらほらと。もう、春は近くに。
寒さの極限に至る頃でも、七十二候では大寒の初侯を
「款冬華(ふきのはなさく)」といい、蕗の薹(ふきのとう)が顔を出す時季です。
雪の下でそっと春の準備を進めていた健気な緑。
覗かせた顔がどこか嬉しそうに見えます。
とても愛らしい姿で、そのほろ苦さと香りは春の美味。
冬眠から目覚めた熊が最初に食べるそうですが、
私たちも春の味わいを心待ちにしています。
大寒も末となる二月二日は「節分」です。
節分はもともと季節を分ける意で、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指しました。
今では立春の前日だけを節分としています。
むかしから季節の分かれ目は邪気が入りやすいとされ、さまざまな邪気祓いの行事が行われてきました。
各地の寺社では鬼を払う追儺式が行われ、地域や家庭でも魔を滅する豆で豆まきをしたり、鬼が嫌う「柊鰯(ひいらぎいわし)」を戸口に立てたり。
こうした節分の風習も、古老から若者へ、親から子へ伝えることで時代をこえて受け継がれていくのですね。
厳しい冬の寒さのなか、心に彩りを灯してくれるのが椿です。
古くから親しまれた花木で、常緑であることから榊と同様に霊樹とされていました。
椿の木は悪鬼を祓う「卯杖(うづえ)」
に用いられ、宮中に献上されていたそうです。
室町時代には貴族の邸宅の庭や寺院に植えられ、茶人や文化人に愛されました。
現在でも茶の湯の世界において、炉の季節では椿が茶花の主役とされています。
一方で、「椿は花がぽとりと落ちるさまから、首が落ちるのを思わせ武家に嫌われた」という話を聞きます。
さて、武士が潔く散りゆく桜を愛でるのに、美しい椿を忌むものでしょうか。
冬の庭で雪がかかる椿を見ながら茶を喫するお武家様に、ぜひ尋ねてみたいものです。
椿を好んだお武家様は確かにいました。
それも武家の頂点、徳川家康・秀忠・家光の将軍三代です。
特に秀忠が椿を好んだことで「寛永の椿」ブームが起こり、さまざまな珍種がもてはやされ各地で椿の園芸が盛んになったそうです。
『百椿集』『百椿図』といった椿の花を描いた専門の図譜が作成されたのもそのためです。
以来、椿はさまざまな美術・工芸のモチーフとなり、親しまれていきました。
どの時代の美術や工芸でも、人は心に留まった自然の美しさを描き、
いつも身近に感じていたいとして模様にしたものを身につけていました。
印伝にも桜や菊など四季折々の花の模様を取り入れています。
冬が好きなかたなら、椿の印伝を。
いつも清らかで可憐な花をその心に。
「椿」模様の印伝は、形や色の組み合わせがさまざま。オンラインショップで取り扱いのない商品については、印傳屋直営店へお問い合わせください。
頰を撫でるそよ風に、
ふと見た野辺の草花に、季節を知る。
あめつちの間で、ひとは千年以上も前から
季の趣を細やかにとらえ、
風物や自然の恵みを愛おしんできました。
一日一日を過ごす時の流れは、
むかしほど緩やかではない
かもしれませんが、
その感性は今も誰の心にもあるものです。
季節の移ろいと、そこに寄り添い
生きてきた
日本の暮らしと文化をなぞり、
日本人のひとつの感性として
生み出してきた印伝とともに
二十四の季をみなさまと
めぐってまいりたいと思います。