「印伝」・「甲州印伝」に
ついてのご紹介
「印伝(いんでん)」とは、鹿革に漆(うるし)などで模様を施した革工芸品です。
印傳屋(いんでんや)の創業は天正10年(1582年)。遠祖 上原勇七が創案した「漆付け技法」に象徴される「甲州印伝」の技法
は代々家長の勇七のみに口伝され、現代においても生活を彩る実用美として息づいています。
印傳屋公式オンラインショップを通じて皆さまに、「甲州印伝」の魅力の一端を感じていただければ幸いです。
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お届けしたいストーリー
オンラインショップで印伝を購入された方、またプレゼントで受け取られた方へ、天正10年(1582年)の創業より400年以上続くバックストーリーとともにお届けしたい思いから、 ご希望の方へ「ブランドブック」を同封いたします。印伝の歴史や素材、漆・燻(ふすべ)・更紗の技、そして様々な模様の世界など、「甲州印伝」をより愉しむためにご利用いただければ幸いです。
INDEN-YA BRAND BOOKご案内
日本の鹿革工芸
鹿革はその柔らかな手触りが人肌にもっとも近いとされ、軽く丈夫なことから、古より生活の道具や武具などに使用されてきました。日本において革工技術が進んだ奈良時代には鞣し(なめし)や染め、燻(ふすべ)などの技術が発達し、権力者への貢物に鹿革を主とした革製の装飾品や武具が献上されています。
聖武天皇が建立された東大寺には、鹿革を用いた国宝「葡萄唐草文染韋(ぶどうからくさもんそめかわ)」が今に伝わり、御物が収められる正倉院にも鹿革の履(くつ)や馬鞍(うまのくら)などが現存しています。
戦国時代には多彩な染色技法を駆使した鎧や兜が武将たちの勇姿を飾りました。甲斐を治めていた武田家ゆかりの品として伝わる鎧兜がその好例。小桜模様の装飾革で華やかに彩ったさまは、武勇の誉れ高い武田家の威光を物語っています。
印伝の誕生、その名の由来
17世紀から江戸時代にかけて、ヨーロッパで壁面装飾として発展した「金唐革(きんからかわ)」と呼ばれる煌びやかな装飾革がもたらされ、異国情緒あふれる海外の革装飾が大いにもてはやされました。
その頃、オランダの東インド会社より伝わったインド産の装飾革に「応帝亜(インデヤ)革」と呼ばれた革があり、それら模して日本でつくられた装飾の鹿革が、印度・伝来(いんど・でんらい)から印伝となったと伝えられています。
当時は、士農工商の身分制度や贅沢を禁じる奢侈禁止令(しゃしきんしれい)が出されていましたが、江戸の職人たちは莨入(たばこいれ)や巾着(きんちゃく)など身の回りのものをつくり、粋を愉しむなかで広く知られるようになりました。十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』にも記されているように、印伝は江戸庶民の間で広く愛好されていたことがうかがえます。
鹿革と漆、「甲州印伝」の
はじまり
四方を山に囲まれた甲州(山梨県)は、古くから鹿革や漆を産出していました。平安時代に書かれた法令書『延喜式(えんぎしき)』によると甲斐国 鹿皮三十張 鹿革十張とあり、漆についても『桑原家文書』には永禄3年(1560年)に武田家の御用漆に関する記録が残されています。
江戸時代、この豊富な原材料をもとに鹿革に漆付けをする独自の技法を創案し「甲州印伝」が誕生したと言われています。当時の漆は、革に防水性や撥水性をもたらすために用いられ、漆のひび割れが独特の模様になることから「地割印伝」「松皮印伝」と呼ばれていました。その後、江戸小紋などの模様を採り入れながら現在まで続く「甲州印伝」の漆模様が誕生しました。
印傳屋の歴史について
天正10年(1582年)、武田家の家臣であった上原出来兵衛が長野県諏訪郡(茅野市)の郷士となり、脛当や小手、陣羽織を作ったのが印傳屋の始まりと伝えられています。江戸後期6代目に山梨県甲府市八日町(現、甲府本店)移り住みました。家長は代々上原勇七を襲名し、「甲州印伝」の技を一子相伝で伝えてきました。
1854(嘉永七)年に刊行された伊勢屋宗助編『甲府買物獨案内(こうふかいものひとりあんない)』によると、当時甲府に印傳屋を名乗る印伝細工所が3件あったことが記されています。しかし、時代の流れの中で印傳屋上原勇七だけが唯一残り、その技を受け継いでいます。
※印傳屋の歴史・企業案内は、企業サイトをご覧ください。
伝統的工芸品
昭和62年(1987)、「甲州印伝」は通商産業(現、経済産業)大臣に伝統的工芸品と指定されています。印傳屋では、第二次世界大戦後に唯一残った「甲州印伝」の伝統を遺す企業としての使命をはたすため、勇七のみに口伝され門外不出としてきた印伝の技法を公開し多くの職人に広めています。
印傳屋では、6名の(2023年現在)伝統工芸士を中心に、「甲州印伝」の技を磨きながら、次世代の担い手の育成に努めています。
甲州印伝の技法について
漆付け
甲州印伝といえば“鹿革に漆”といわれるように、「漆付け」は最も代表的な技法です。染め上げた鹿革に型紙を置き、そこに漆を刷り込むことで模様を付着させます。 鹿革と漆の特性を巧みに融合させ、さまざま伝統の模様を彩るこの技法こそ、印伝の魅力を育んできた家伝の技です。
詳細をみる燻(ふすべ)
鹿革を太鼓と呼ばれる筒に張り、藁(わら)を焚いてその煙でいぶし自然な色に仕上げる燻技法。印伝のルーツともいわれ、織田信長に謁見したことでも知られる宣教師ルイス・フロイスが、著書で「日本人は藁の煙だけを用いて巧みに着色する」と驚嘆を記したとされています。熟練の職人だけが駆使できる日本唯一の技を今でも守り続けています。
※燻の商品は、オンラインショップでは取り扱いがございません。お求めの詳細は企業サイトをご覧ください。
詳細をみる更紗(さらさ)
印伝の更紗技法は、インドなどの南蛮貿易によってもたらされた模様染めに由来すると言われています。一色ごとに型紙を替え異なる色を重ねることで、鮮やかな色彩の調和を生み出す技法です。
詳細をみる印傳屋の直営店
オンラインを通じて、皆さまと印傳屋の距離がますます近くなる便利な時代。 でも叶うなら、印伝をぜひ手にとって多彩な色と模様の世界をご覧いただきたいのです。 創業より400年以上、手から手へ伝統の技を伝え、磨き続けた結晶。
それを皆さまの手で、じっくり感じていただくひとときを、印傳屋は大切にしています。
全国4カ所(山梨・東京・大阪・名古屋)の直営店にて、400年歩み続ける伝統の今を、直に感じてください。
「印伝」・「甲州印伝」についてのよくあるご質問
A.「印伝」とは江戸時代以降、鹿革を用いた日本の革工芸のひとつを指すものです。
江戸時代から戦前にかけて、各地で「印伝」と呼ばれる革工芸品が作られていました。そのなかから、「漆付け技法」を遠祖 上原勇七が創案したことにより、甲州独自の「甲州印伝」が始まりました。
「甲州印伝」は現在、経済産業大臣指定「伝統的工芸品」に指定されている唯一の「印伝」です。甲府印伝商工業協同組合に加盟する企業が切磋琢磨しながらその技を磨いています。
A.「印伝」は、17世紀以降の江戸期に確立したとされ、日本古来の鹿革工芸品や装飾革は「印伝」ではありません。
しかし、それらに用いられた鹿革工芸の文化や技術は、今日の「印伝」にも活かされています。
A.「甲州印伝」は、印傳屋を含む2社(2023年11月現在)が「印伝」を製作しています。
また近年、甲州以外でも「印伝」の技術復興をはたした作り手(企業)が存在します。
A.当ショップほか、印傳屋の全国4カ所(山梨・東京・大阪・名古屋)の直営店、印傳屋商品の正規取扱店でお求めいただけます。
近年は、社名・ブランドロゴ・写真等を盗用している「偽通販サイト」や商品の製作者を取り違えて販売する「転売サイト」の存在を確認しておりますので、正規取扱店でのお求めを推奨しております。
※「印傳屋」商品の特徴については、こちらを参照ください。