Ki-No-Otonai

vol.18

霜降

Sōkō

2024.10.23 ― 11.6

深まる秋に星霜を想う

「霜降」とは字の通り、霜が降りる時期。
十一月は霜月ともいいますね。
日中はまだ暖かい陽気が続きますが、
北の方や山地に近いところでは
朝晩はひんやりとし、地面の草が
細かな氷をまとうように。
一歩一歩、秋は暮れようとしています。

暮れゆくものを想う。
これは何度目の秋か。

霜は本来の意味とは別に、比喩として白髪を表します。
静かな秋の朝、草木に霜が降りるのを見て「嗚呼、秋がまた暮れてゆくのか」とむかしの人は歳月の流れを自身に重ね合わせ、そんなたとえをしたのでしょう。
「星霜(せいそう)」ということばも、歳月を表すものです。
星は一年で天を周り、霜は毎年降るもの。
時は確実に流れ、人はそこで生を全うしようとする。
秋はいろいろと感傷にひたる季節でもあります。

七十二候では霜降の末候を「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」といいます。
紅葉が深まる時季です。
北の方からは紅葉の知らせが届くようになりました。
むかしは、葉の色が揉み出されるようなさまを「揉み出(もみず)」といい、いつしか美しく紅葉を見せる楓を指すようになったそうです。
寒さに揉まれ紅や黄の木々で錦を飾るような山の秋を、ことしも存分に愉しみたいものです。

「紅葉に鹿」は、
日本の秋の代名詞。

暮れゆく秋、紅葉の山からは「ピィー」という鳴き声が聞こえるようになります。
声の主は鹿。
秋は鹿の繁殖期で、雄が縄張りを示し雌を求めて声をあげるのだそうです。
それはどこか、もの悲しげな声。
百人一首には三十六歌仙の一人、猿丸太夫が詠んだ歌が収められています。
「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき」鹿の声に、遠く離れた人を想う心を重ねたのでしょうか。

酒井抱一 筆『鶯邨畫譜』,須原屋佐助,18.(一部を表示)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542559/1/22

「鹿の声」はむかしから多く詠まれ、秋の季語になっています。
また、「紅葉(もみじ)に鹿」とは秋を代表する風物で、「松に鶴」「梅に鶯」などと同じように、その季節の絵になる良い取り合わせを挙げたもの。
安土・桃山時代の「天正かるた」が元になった花札も、十月の絵柄には「紅葉に鹿」が描かれています。
ちなみに、鹿肉を隠語で「紅葉(もみじ)」というのもよく知られたところです。

人と、印伝と、
ともにある鹿を模様に。

鹿は先史より人々の衣食に利用され、日本の革工芸の歴史を遡ると、
奈良時代には鹿革を利用して装飾品をつくっていたことがわかります。
印傳屋の遠祖 上原勇七も、江戸時代に鹿革を印伝づくりに使用し、
その独自の技が代々受け継がれるなかで、「鹿革に漆の印伝」として広く知られるようになりました。
印傳屋は永く印伝とともにある鹿への感謝の心を込めて、日本の秋の風物である鹿を模様にした印伝をつくり続けています。

「ディアー」模様の印伝

札入C
12,100円(税込)
札入J
SOLD OUT
束入M
22,000円(税込)
束入Y
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「ディアー」模様の印伝は、形や色の組み合わせがさまざま。上記以外の商品については、印傳屋直営店へお問い合わせください。

季の訪い
季の訪い

頰を撫でるそよ風に、
ふと見た野辺の草花に、季節を知る。
あめつちの間で、ひとは千年以上も前から
季の趣を細やかにとらえ、
風物や自然の恵みを愛おしんできました。
一日一日を過ごす時の流れは、
むかしほど緩やかではない
かもしれませんが、
その感性は今も誰の心にもあるものです。

季節の移ろいと、そこに寄り添い
生きてきた
日本の暮らしと文化をなぞり、
日本人のひとつの感性として
生み出してきた印伝とともに
二十四の季をみなさまと
めぐってまいりたいと思います。